悲しげな桜

今日の朝日新聞朝刊の俳壇で目を惹かれた句をご紹介します。

悲しげに人を見てゐる桜かな

東京都の金子文衛さんの句です。

政治の無法無策のありようか
社会の分断の痛ましさか
DVなどの家庭内の問題についてか
個々人の内面の話か…

いろんな「悲しみ」を思い浮かべることのできる
懐の深い句ですね。

来年の桜は、どんなふうに観ることになるのでしょうか。

憲法記念日の今日
某A氏の言動などに、また嘆かわしい気分になりがちですが
一応法学部出身の ももんが にとって
現憲法の前文やいくつかの条文(※1)と
改悪前の旧教育基本法の前文(※2)は
戦前の数々の過ちに対する反省の上に立ち
崇高な理想を高らかに謳いあげた
世界に誇れるものだとの思いが強くあります。
(あの人は、自分に憲法を尊重し擁護する義務があるということを
 分かっているのでしょうか??)

「桜散る」が、受験に落ちる 以上の、命に関わる悲しい意味を
持つ時代を、再び到来させてはならないと思うのです。

最近、渡邊白泉が昭和14年(1939年)に詠んだ無季俳句が
思い起こされます。

戦争が廊下の奥に立ってゐた

将来の日本人に、「何故、止めなかったのか」
と詰られる、あるいは悲しまれることのないような
自律的な、責任ある選択をしていきたいものです。

それでは、また!

※1
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#zen

※2
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a001.htm

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